歴史History

数々の秘仏・寺宝に見る 
在りし日の記憶

四天王寺に代々伝わる秘仏や寺宝、史跡をご紹介します。
静かにたたずむ歴史の産物に、ご自身の思いを重ねてみてください。

聖徳太子像(重要文化財)

鎌倉時代 絹本着色 112×39.5

両手に金色の柄香炉を持ち、父・用明天皇の病の快復を祈願する姿を描いたものとされています。ふっくらとした顔立ちや、朱をさした唇が若々しい印象を与えますが、その中にもどこか強い意志を感じられます。渋みのある色調で描かれながらも、袈裟の文様の一部に金や赤を使っており、画面を一層引き立たせています。

薬師如来像(重要文化財)

像高65cm 木割矧造 彫眼 漆箔

昭和20年の空襲により薬師堂が焼失した際に、奇跡的に難を逃れたという仏像。像の高さは64.8cmほどで、一本のヒノキを切り出して造られています。胎内から見つかった文書によると、1077年に物部美沙尾の命により物部吉守が手掛けたもので、肩の形状や膝の高さ、衣紋に見られる強く硬い線など、当時の流行であった定朝の様式とはやや異なった特徴がみられます。

山門(市の有形文化財)

江戸時代 幅3.8 奥行き3.1

四天王寺の総門で、「四脚門」という形式の山門です。使用されている木は比較的太く、どっしりとした趣を感じられます。全体的に装飾部分が少なく彫りも浅いため、江戸時代初期の特徴がしっかりと表れています。寛永18(1641)年に建立され、その後天明8(1788)年に修理された記録が残っています。

花屋寿栄禅尼 織田信長生母の墓

像高65cm 一木割矧造 彫眼 漆箔

戦国時代を生きた女性で、名前や墓が残ることはまれなことです。出生地から「土田御前」とも呼ばれる彼女は、本能寺の変のあと、津城を築いた信長の弟・信包を頼って津に移り住みました。

芭蕉翁文塚

江戸時代の俳諧・松尾芭蕉の句碑は全国にありますが、それに先行した文塚は希少です。1737年に、津の俳人・二日坊が建立し、のちに二日坊の塚もこの文塚の隣に建てられました。

藤堂高虎、同夫人像(重要文化財)

江戸時代 絹本着色

上畳に斜め右に向かって座しながら、右手には物を持ち、脇には太刀を下げている藤堂高虎像。鋭い眼光と大きな口元が、高虎の威風堂々たる様子を如実に再現しています。夫人は名を久芳院といい、像では逆に左向きに座しています。桃山時代に流行した葡萄や柳などの華やかな模様の打ち掛けが描かれており、津城で急逝したあとは当山の墓地にて葬られました。

pagetop